創立記念日に因んで

 

平成11年4月28日

 みなさん,こんにちは,今日4月28日は,私たちの学校,附属中学校の生まれた日,創立記念日です。附属中学校の正門の内側に立派な時計塔がありますが,これは,平成9年に創立50周年を記念して,たてられたものです。今日は,52回目の創立記念日にあたりますので,附属中学校の歴史について少しお話をします。


 はじめに時計塔のことについて話します。

 時計塔の全体の形は,古代エジプトの神殿に建つオベリスクからヒントを得たものです。オベリスクは,「学芸」の意味を表しますが,このことから,附中生が学問を重んじ,授業に真剣に取り組むこと,大きな夢を持って,日々努力することを願っています。

 柱は,三角柱をしていますが,これは,校訓「光と力と望みと」を意味しています。50年の時を刻んだ附属中は,数多くのすばらしい先輩を生み出しています。これから先も「光と力と望みと」の附中魂をもった若者が数多く生まれることを願ったものです。

 三角柱の一面には,古代エジプト文字,ヒエログリフで文字が刻まれています。ヒエログリフとは,人や動物などをデザイン化した絵文字のことです。古代エジプトでは,パピルスに書かれたり,石に刻み込まれていました。

 時計塔のヒエログリフは,どのよう読むのか,どんな意味があるのかについては,時計塔を見たり,社会科の先生に尋ねたりして調べてみて下さい。この時計塔には,1万人を越える附中卒業生の期待がみなさん方後輩に託されていることを忘れないでほしいと思います。


 次に,附中の誕生の話です。52年前の附属中学校は,長崎市ではなく大村市で誕生しています。昭和22年4月28日に大村にあった陸軍の兵舎跡地を譲り受けて,1年生2年生だけでの開校でした。

 この大村の地で6年間を過ごした附属中学校は,483名の卒業生を輩出しています。同窓会名誉会長の廣田典祥さんは,第2回の卒業生です。廣田さんたちが中学生の頃は,運動場がなかったので,生徒と先生と一緒になって,背丈まで伸びる雑草を刈り取って,土を運び,運動場を自分たちで作ったそうです。廣田さんは,嬉野病院という大きな病院のお医者さんで院長をされていますが,「中学校時代が一番すばらしいい思い出がある」「みんなが大きな夢を持ち,一生懸命生きていた」と言われます。今では,60才を越える大先輩ですが,この483名の結束は堅く,時々,大村附中同窓会を開かれています。


 さて,大村での6年間を終え,附属中学校は,長崎へ移ってきます。昭和28年のことです。しかし,先生たちは,移ってきたものの学校がどこになるか決まらないまま一年が過ぎてしまい,ついに,昭和28年は,生徒がいないまま,終わってしまします。そして,昭和29年に,ようやく校舎が大橋に決まり,1年生193名,2年生79名でスタートします。3年生はこのときもいませんでした。このときの校舎は,三菱兵器工場跡で,工場ですから油と石炭のすすで真っ黒で,今では考えられないような粗末な校舎であったそうです。

 それから後もなかなか新しい校舎は建たず,西浦上小学校の古い校舎を譲り受けて,授業をしたときもありました。

 現在の校舎ができるまでに6回の校舎移転をしていますし,学校の名前も今の長崎大学教育学部附属中学校になるまでに5回変わっています。校舎が変わるたびに,机や椅子は一人一人が自分たちで運んで行ったそうです。先輩方がいかに苦労したか,これだけでも想像がつくと思います。

 現在の附属中学校は,立派な校舎,体育館そしてコンピュータ室などすばらしい施設設備を持っていますが,ここまでたどりつくには,ずいぶん苦労を重ねていることがわかります。

 先生方が,「ものを大切にしなさい,校舎をきれいにしなさい」と言われるのは,数々の先輩の御苦労へのせめてもの報いでもあるわけです。


 もう一つ,附属中学校について知っておかなければならないことがあります。それは,校訓「光と力と望みと」のことです。この校訓は,学校が長崎に移ってきてすぐに,当時の緒方怜校長先生が提案されました。昭和30年のことですから,みなさんのお父さん,

お母さんが生まれた頃のことです。

光  光のさすところは,明るくそして暖かい 力  力は,自らの人生を切り開く心身の根元力である 望み 望みは,人生の夢であり目標である

 緒方校長先生は,校舎もグランドも借り物の粗末な中でありながら,なんの不満も言わずに,一生懸命に努力する附中生の姿をみて,いつも感動されていたそうです。

 このころから,附中生は,勉強だけでなく,運動や文化活動でもすばらしい活躍をしていました。昭和30年には,早くも県民体育祭でバスケットボールチームが優勝していますし,先生たちは,県下教職員バレーボール大会で優勝しています。長崎市内弁論大会では,優秀賞を得たり,NHK合唱コンクールに出場したりしています。

 こうした活躍をする彼らに是非,附中の心意気,をいつまでも忘れない,中学生としていや,人間としての生き方を示したいと考えられ,校訓を作られたそうです。昭和30年,それは,ようやく1,2,3年生が全部そろった時のことでした。

 附属中学校の現在の校舎が完成するのは,昭和43年3月のことです。それから,30年余り,附中はすばらしい発展を遂げていきます。部活動では,バスケットボールやバドミントンが全国大会に九州の代表として出場しています。


 私たちの学校には,伝統的なものがいくつかあります。たとえば,附中の女子の制服は,昭和30年代に家庭科の先生がデザインされたものです。特に,今1年生が着ている合い服は,ネクタイ,袖がバラバラに分解されますが,それは,冬服の余り切れで,デザインされアクセントをつけられたからです。合い服は,市内の学校では,附中だけにしかない誇り高いものでした。

 また,附中の校歌は,国語科の先生たちが知恵を絞って,昭和33年に作られたものです。

 校歌と並んで親しまれている附中讃歌は,今から10年前,音楽科の先生の作曲,そして,当時の副校長先生の作詞によるものを,附中の卒業生で東京芸術大学に学んでいる学生が編曲したものです。 

 さらに,体育祭や体育の時間に行う附中体操は,昭和48年の附中生の作曲に当時の体育の先生がふりをつけられたものです。

 そのほかにも,今では,当たり前のように使われているコンピュータを中学校に長崎県で一番早く取り入れたのも附属中です。そして,技術家庭科に「情報基礎」がなかったときに,附中の先生と生徒が一緒になって基礎的な研究をして,現在全国の学校で使われるコンピュータ活用方法を開発したのです。


 いま,私たちの学校は,他の学校にはない選択教科があります。これも21世紀の中学生が学習することになる内容の研究です。まさに,みなさんの学習成果は,21世紀の日本の中学生のモデルとなるものです。それだけに,みなさんの学習成果に大きな注目と期待が集められているのです。

 附属中学校を卒業した生徒が今年10,000人を越えました。そして,今年度,西暦2000年を迎えます。附属中学校は,今もなお,大きな期待を受けながらも,大きな転換期にさしかかっています。私たち一人一人がこの伝統のある附属中学校で,輝かしい伝統を受け継ぐとともに,己を磨き,自己を高め,誇り高く生きることが求められています。

 そのために大事なことは,3つです。

1 一つ目は,本物の優しさを身につけるため,自分に厳しくあってほしい

2 二つ目は,本物のたくましさを身につけるために,自分を律する心を育ててほしい 3 三つめは,本物の個性を身につけるために,自分に責任を持ってほしい

ということです。これは,松永校長先生が始業式や入学式の時にお話になったことです。 具体的にどうすればいいのかは,学級担任の先生や生徒同士で話し合ったり,自分自身で考えてほしいことです。 

 どうかみなさん,この附属中学校が生まれた日を忘れることなく,附中魂を磨いてほしいと思います。これで,創立記念日に因んだ話を終わります。

迎  憲二教頭先生(当時)の文による

 


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