校 訓 光と力と望みと」

光りのさすところは明るく,そして温かい

力は,自らの人生を切り開く心身の根源の力である

望み

望みは,人生の夢であり目標である

附中生であれば誰もが誓った「光と力と望みと」

入学の日,父母に,友に,そして教官にこれからの努力を,成長を,生き方を約束する。これが,生徒による最初の校訓解題である。卒業生は語る,「その後の多忙な生活の中で,多くのことを忘れ去った後も,この言葉だけは鮮明に残る」と。

ある時は,「暮らしは低くとも望みだけはあくまでも高く持て」,ある時は,「若者よ,身体を鍛えよ,魂を磨け」,またある時は,「高きより高きを目指せ」,その時々に咀嚼され校長の訓話となる。そしていつしか,このことを附中魂と言うようになった。

しかし,この「光と力と望みと」のルーツを知るものは少ない。

昭和22年の開校当時,校訓はなく,昭和29年に自ずから成る。

大村時代の昭和24年から旧校舎第1棟のできる昭和31年まで,正に激動の7年間を校長として務め,本校の草創期のリーダーであった緒方刢校長が,昭和29年大橋町の学芸学部の一部に附属中学校を開校した年に校訓「光と力と望みと」を制定していることは,周知のとおりである。

 しかし,「光と力と希望(のぞみ)」は,この時をさかのぼること30年,大正13年に旧制佐賀県立唐津中学校の校歌に記されている。この校歌の作詞者は,「次郎物語」の著者である下村湖人である。彼は,旧制唐津中学校の校長を務めていた。当時緒方先生は生徒として,湖人の薫陶を受けている。このことから,湖人と緒方先生の係わりは否定できないし,校訓制定に影響もあったであろうと推測できる。

 さらに,湖人は東京帝国大学文学科の英文学専攻である。

 イギリスの詩人ワーズワースの詩に,光(Light)力(Power)望み(Hope)  と出てくることは無関係なのだろうか。

 いずれにせよ,我が校訓「光と力と望みと」は卒業生9,695人,在校生617人,附中同人179人によってそれぞれに解題され,魂のふるさととなっているに違いない。


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