新垣勉さんがあるコンサートの中で話されたことのうち,一部を紹介します。
私は、自分のような人間は、こんな人生の悪いくじをいっぱいひいて生きてきたこんな人生なんて、なくてもいいや、と思って生きていたもんでした。そんな中でひとりの牧師さん、その家族との出会いの中で、自分の人生っていうのが、意味があるんだ、価値があるんだ、自分は自分でいていいんだ、ということを感じるようになりました。
私にとって視覚障害ということ、そして混血ということ、そして親にほうり出されてきた、そんないろんなことを考えるとすべてがもうマイナスに見えてきて仕方がなかったんです。まさにコンプレックス、劣等感のかたまりでした。
でもそういう中で私が歌を勉強したいと思って、神戸に住んでおられたイタリア人のバランドーニ先生のところに勉強にいったんです。世界的ないろんな歌手を育ててきた先生なんですけども、私の歌をちょっと聞くなり、「この声は日本人離れした声だ。日本人にはない、何か明るいラテン的な匂いのする、オペラを歌うようなそういう音色がある。どうしてこういう声が出るんですか」って言われました。その時私ははじめて自分の話をしました。父の話をしました。メキシコ系ラテン系の軍人だったということを話しました。その時に先生が私に言いました。「この声は神様から与えられた楽器だ、だからこれはしっかりみがいて用いなさい」って。嬉しかったですね。自分がコンプレックスのかたまりだった、自分が混血だとかハーフだとか言われて、そのことが嫌だった。でもそのラテン的な血を半分もらったということで、むしろこれをプラスにとらえていく、この楽器をうんとみがいていく、そんな気持ちに変わったんです。
人間、生身の肉体を持った私たち人間ですから、どうしても利害、打算、損得、そういう世界に生きてしまいがちなんですけども。人とくらべて生きる、人を気にしていく。しかし本当はくらべる必要は全くないわけでして、くらべようとするからねたみだとか嫉妬だとか、そんなものがいろいろと起こってくるわけですね。自分が、あるがままの自分でいいんだ、自分以上である必要もないし、自分以下である必要もない。あるがままの自分を受け入れる。
ですから、よく「自信をもって生きる」という言葉がありますけども、「自信を持つ」ということは別に人とくらべて自信を持つということではない。自分は自分でしかないっていう、ある種のうなずき。それをしっかり持っていれば、私たちはいろんなことがあっても乗り超えることができるんじゃないでしょうかね。
それと同時に、やっぱり「いい出会い」をどれだけ持っているか、本当に自分の人生が影響を受けるような出会いをどれだけその人が持ってきたかっていうのは大きなことだと思いますね。出会いを大事にするっていうこともとっても大事なことだと思いますね。目に見えるもの、経済的な問題、お金の問題、物質的なもの。これはないよりあったほうがいいでしょう。でも、どんなにお金を積んでも買えないものってあります。人と人との素敵な出会いとか、友情だとか。愛もそうでしょう。
そういう目に見えないもの、お金で買えないものがどんなに大事であるか。愛とか慈悲という言葉を使いますけれども、これは突き詰めていくと、自分と同じように他者を、他の人を大切にすることができるかということだと思うんですね。
沖縄、小さな島沖縄には、いまなお日本の米軍基地の75%がございます。
沖縄は昔ですね、琉球王国でした。琉球王国は武器を持たない国として、その近隣の国に知られていたんです。武器を持たない国ですから武術が非常に発達したわけです、空手だとかですね。もし日本があの第二次大戦を経験しなければ、そして敗戦を経験しなければ、そして敗戦後アメリカの統治下に置かれた沖縄、米軍基地の置かれた沖縄でなければ、今の私の存在というものは全くこの地上にはないわけであります。
武器を持たない島、県、沖縄。本当にみんなが、世界中でそういうふうな決意ができたらどんなに素晴らしいでしょうか。今、世界的な大きな戦争はありませんけども、しかしながら国と小さな国の内紛だとかそういう小さな戦争を合わせるとですね、本当の意味では平和はまだ訪れてないわけです。でも平和っていうのはですね、ただ黙っていて上からぽんと降ってくるものではないわけですね。私たちが、人間みんなが努力をして作り出していかなければ平和というのは訪れないわけですね。降ってくるようなものではないわけです。
沖縄のサトウキビ畑に行きますとね、風が吹くとざわざわざわざわっと風にそよぐ音がします。
この歌を作った寺島尚彦さんって方は、沖縄を訪れたときにこのサトウキビのざわざわと揺れる音にヒントを得て、何か歌が作れないかということでこの歌を作ったと言われています。この歌は正面切っての平和を願ってはいないけれども、しかし私たちに平和を考えさせる、そういう歌であります。サトウキビの風に揺らぐ音、そして戦禍に散った魂の叫びをこの音に託している。20万以上の人々が戦火に散っていった地上戦を経験した沖縄が願う、そんな歌であります。「さとうきび畑」です。
さとうきび畑
(作詞/作曲:寺島尚彦)
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに
緑の波が うねる
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
むかし 海の向こうから
いくさが やってきた
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
あの日 鉄の雨にうたれ
父は 死んでいった
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
そして 私の生れた日に
いくさの 終わりがきた
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
風の音に とぎれて消える
母の 子守の歌
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
知らないはずの 父の手に
だかれた夢を 見た
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
父の声を 探しながら
たどる 畑の道
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
お父さんと 呼んでみたい
お父さん どこにいるの
このまま 緑の波に
おぼれてしまいそう
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
けれど さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が 通りぬけるだけ
今日も 見わたすかぎりに
緑の波が うねる
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
忘れられない 悲しみが
ざわわ ざわわ ざわわ
波のように 押し寄せる
風よ 悲しみの歌を
海に返してほしい
夏の ひざしの中で
ざわわ ざわわ ざわわ
広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
この悲しみは 消えない
日本は経済大国といいますけれども、しかし実際私たちの歩く道、駅でもどこに行きましても、やっぱり健常者の都合のいいように作られているわけですね。
例えばある放送局などは「とおりゃんせ募金」といって信号機を作るための番組をやっています。もう20数年続いていてほんと素晴しいことだと思うんですけれども。日本は、モノを設置しておけば、その音の鳴っていくところに渡っていけるというふうに考えてしまうんですね。もちろん無いよりそういうものがあるってのは素晴しいんです。
しかし、例えば欧米ではあまりそんなものないんですよね。じゃあどうするかというと、向こうでは歩いていると自然に誰かが声を掛けて、一緒に歩く。ということは向こうの人にとっては自然なんですね。日本の場合は障害者というのはひとつの学校にひとくくりにしてしまう。そうすると、普通の健常者の子供たちは小さいときから障害者に接することがないわけですね。ところが欧米では、確かに税金は高いしお金はかかるけれども、しかしひとつの学校に健常者も障害者も、同じところで勉強する、同じクラスで勉強する。ですから普段の生活の中で、学校の中で自然に身に付いてくるわけですね。だから養護学校とかそういう隔離的なものではなく、小さい時から障害者と健常者という分け方じゃなくて、人間として接していく、ひとつの学校で皆が勉強できるようになる、そういう教育が学校教育の中で始められていくことが大事だろうと思うんですね。
今よく言っていますよね。エレベーターのボタンを押してあげる、指1本でもボランティアができる、と。決して、難しいことじゃない、小さなことからできると思うんですね。
まだまだ日本の場合は、誰かが誰かのために何かをするという、「ために」という生き方だと思うんですよね。「ために」だとどうしても上下関係なってしまいます。そうじゃなくて、「共に」生きる。私もあなたも共に生きる。ちょっと不謹慎なことかもしれませんけれども、しかし現実としては誰でも障害者予備軍なんです。いつ事故で何かのことで障害を持つか誰もわからない。そういう現実に私たちは生きているわけです。ですからそういうことを、地方自治体とか国に任せるだけではなくて、私たちの回りから考えていくような、小さなことから始めていけたらどんなに素晴らしいかなあ思います。
ナンバーワンを目指す人生ではなくてオンリーワンな人生。私には私でしかできない、平凡なことかもしれないけれども、しかし自分に与えられたこの歌という、声という楽器を使って、また自分が通ってきた、つたない小さな体験ですけれども、自分が通過してきたその出来事、いろんな事柄を通して、その人に与えられた、その人でしか生きることのできない素晴らしい人生があるのだということを、これからも歌い続けたいし、語り続けていきたいと思います。