実地研修と視座の移動
谷川昌幸(社会科教員)
| 綜合演習の佐賀実地研修(2006.6.10,安部先生引率)に参加させていただき,改めて「視座の移動」の大切さについて考えさせられた。 視座を決める最も基本的な要素は,二つある。一つは時間であり,私たちはいま,過去から未来に向かって一直線に等速で進行し,しかもそれを進歩とみる近代的時間観念の中に生きている。この時間観念の拘束は極めて強く,特に日本はわが大学も含め,新しい=進歩=善と思い込み,「とにかく何でもよいから新しいことをやらねばならない」といった焦燥感に駆られ,定見もなく前へ前へと突っ走ろうとしているように見える。もしこのように,より新しいものにこそ価値があるのなら,古いものの保存にも,保存に値するものをつくることにも,さして意味はないことになる。その時,その時の新しい要求に対応する新しい消耗品を効率よくつくりさえすればよい。 しかし,このような時間観念は,科学主義的近現代社会に限られたものであり,世界にはそれとは別の様々な時間観念があったし,いまもある。それは,末廬館の縄文人や弥生人の生活に邪念なく感情移入すれば,多かれ少なかれ感じ取れるはずだ。いや,明治以降であっても,たとえば永遠の美を意識して建造された旧唐津銀行本店に入れば,消耗品として建てられた教育学部棟との時間観念=歴史意識の差は一目瞭然だ。研修で,そうした別の時間観念の世界に身体ごとタイムスリップし,その現在から切り離され完結した過去(他者としての過去)の視座から,たとえば教育は消耗品としての「人材」養成が目的か否かといった根本的な問題を考え直してみることの意味は大きい。 次に,視座を決めるもう一つの要素は,場所である。これについても,私たちは,時間ほどではないが,固定観念にとらわれやすい。同じものでも,見る場所を変えれば,大きさも形も変わり,見えない部分も見えるようになる。ところが,この子供でも知っている基本的な事柄ですら,同じ場所に長くいると,いつしか忘れられ,対象のイメージが固定化し,そこから見えているものを丸ごとの事実そのものと錯覚してしまう。たとえば,韓国の姿は,長崎市内からだけだと,どうしても一定の見え方がしてしまう。ところが,同じ韓国でも,今回のように自分たち自身が名護屋城まで行って見ると,見え方が大きく異なる。直接,肉眼で朝鮮半島が見えるわけではないが,対岸にあるという近接感や朝鮮攻撃のための巨城跡にいるという臨場感が,韓国の存在感を倍加させ,その見方への反省を迫ってくるのである。 このように,わずか一日とはいえ,日常生活の場から離れての実地研修は,知見を広めるだけでなく,物事を別の時間・場所から見る「視座の移動」訓練としても有益であったのではないかと思う。 |
![]() 菜畑・末廬館 ![]() 旧唐津銀行本店 ![]() 名護屋城址 |
菜畑・末廬館入り口 |
![]() 旧唐津銀行本店 |
![]() 旧唐津銀行本店 |
![]() 旧三菱合資会社唐津支店本店 |
![]() 鉱山用具/石炭(左記資料館内) |
![]() 名護屋城址 |
![]() 名護屋城址より |
![]() 名護屋城址 |
総合演習 平和多文化教育 2006年6月10日 |
<訪問先>
菜畑・末廬館/旧唐津銀行本店(唐津観光協会案内所)/旧三菱合資会社唐津支店本店(唐津歴史民俗資料館)/名護屋城博物館・城址