≪注≫

(1)「劣等被爆都市」(the inferior A-bomb city)
  長崎について、私はかつてグレグ・ミッチェル記者に語ったことがある。
  Greg Michell,”Forgotten Bomb,Forgotten City.”The Progress,August 1985,pp.29-30.
  高橋靖子訳「忘れられた原爆、忘れられた都市」長崎総合科学大学長崎平和文化研究所
  『平和文化研究』第10集、1987年、179、181ページ。
  See also“Nagasaki;Gone,but Forgotton,”Nuclear Times.July/August 1985,p.16. ;P.1,L8

(2)山田かん「原点と告発」(『虹』1972年8月20-22ページ)
および「長崎・戦後基点の虚妄」(『長崎の証言』第4集、1972年、170-184ページ)参照。  ;P.1,L21

(3)島根県飯石郡三刀屋町大字多久和にある永井寛の墓碑には
「大社教/中輔教 永井寛翁命墓/昭和十四年二月四日帰幽/享年六十才」とある。;P.2,L6

(4)千家損統『出雲大社』学生社、1968年、253ページ。;P.2,L9

(5)出雲大社教教務本庁『出雲大社教入門』1959年、66ページ。;P.2,L11

(6)長崎医科大学物理的療法科『原子爆弾救護報告』27ページ。
  『週間朝日』臨時増刊、1970年7月25日、所収。
  『長崎医大原子爆弾救護報告』朝日新聞社、1970年、206ページ;
  『永井隆全集』全1巻、講談社、1971年、943ページ。;P.2,L33

(7)長崎市役所編纂『長崎爆弾戦災誌』第5巻「資料編」長崎国際文化会館、1983年、257-305ページ。;P.2,L51

(8)同上、341ページ。;P.2,L59

(9)高橋眞司「原爆死について」(長崎原爆問題講演集『現在の被爆問題』;P.3,L18
   長崎原爆問題研究普及協議会、1985年、34-55ページ。)

(10)永井隆はカトリシズムとセンチメンタリズムの表裏の関係を自覚していた。
   「右手に聖書・左手に我が子、これをたくみにあやつって、人々の涙をしぼり出し、
   それを甘い汁に変えている―それが私の姿ではないか?」
   『如己堂随筆』中央出版社、1951年8月、40ページ;『原子野録音』聖母文庫;P.4,L38

(11)片岡彌吉『永井隆の生涯』中央出版社、1952年、256-257ページ;『永井隆の生涯と著作』『永井隆全集』1,000ページ。;P.4,L54

(12)秋月辰一郎『長崎原爆記―被爆医師の証言』弘文堂、1966年、135ページ。;P.5,L7

(13)秋月辰一郎『長崎原爆記』164ページ;『死の同心円―長崎被爆医師の記録』講談社、1972年、212-213ページ。;P.5,L14

(14)太田可夫著・水田洋編『イギリス社会哲学の成立と展開』(社会思想社、1971年)
   改訂版、1984年、408ページ。;P.5,L19

(15)秋月辰一郎『長崎原爆記』119ページ。;P.5,L20

  初出:社会思想史学会年報『社会思想史研究』第10号
  ;『長崎にあって哲学する ― 核時代の生と死 ― 』七樹出版、1994年より転載。


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