長崎原爆の思想化をめぐって

――永井隆と浦上燔祭説――

 

第1章  長崎原爆の思想化をめぐって

――永井隆から秋月辰一郎へ――

 

 

はじめに

 

被爆40周年のことし(1985年)、わたくしは社会思想史学会が「反核と平和」についてシンポジウムを開催することを願ってきたが、もっぱら私の力量不足で幹事会等に十分な提起ができず、今日にいたったことをおわびしたい。そこで私は私なりに被爆40周年を記念する心持をこめて、長崎原爆の思想化をめぐって報告したい。〈長崎にあって哲学する〉ということを私は大事にしてきたが、今日の報告も〈長崎にあって哲学する〉私の営みの一つである。

長崎原爆の特徴として,私は,偶然的性格、実験的性格、否定的性格の三点を指摘したい。否定的性格というのは、長崎原爆はその発端から誤報、無視そして忘却の対象であったからである。広島との対比において、私は長崎をあえて「劣等被爆都市」1)とよぶ。長崎が広島に比して劣位に立ってきた事実と今日のわたくしの論題とは無縁でない。

ひとびとが長崎原爆をどううけとめてきたか。それを私は長崎原爆の〈思想化〉formulationsということばで一括する。社会思想史学会での報告として私がここに取り上げるのは,永井隆による長崎原爆の思想化――それを私は〈浦上燔祭説〉とよぶ――とその批判である。そのさい、永井隆とかれの思想を私自身が直接批判することはさし控え、あくまで社会思想史として禁欲的に論ずるつもりである。

 

永井隆への関心

 

 1980年代に入って、永井隆への関心は増大しつつある。そのいくつかを拾えば、1.木下恵介監督の『この子を残して』(松竹・ホリ企画提携、1983年) 2.永井隆の主著『長崎の鐘』のあたらしい英訳The Bells of Nagasaki,translated by William johnston. Kodansha International,1984. 3.筒井茅乃『娘よここが長崎です』(くもん出版、1985年)等がある。

 ところで、永井隆とかれの思想を自由に真向から批判することは、長崎においては,いぜんとしてタブーの気味がある。70年代のはじめ、長崎の詩人山田かんは「聖者・招かざる代弁者」というすぐれた一文を『潮』156号(1972年5月)に発表した(ただし『潮』編集部は「偽善者・永井隆への告発」と改題して発表した)(2)。それに対して、地元の『カトッリク・クラブ』(1972年7月)がただちに「反証」の特集を組み、『永井隆の生涯』の著者片岡彌吉は「電話でどなり込んできた」(山田かん談)という経緯がある。しかし、今日は学会の席でもあり、自由な立場で論じてみたい。

 

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