高等学校における現代詩の授業の単元学習的展開

教科教育専攻国語教育専修
林田誠一


T 現代詩の授業の現状
 先生と生徒に対するアンケート、及び、教科書の詩の調査から、高等学校の詩の授業の実態が明らかになった。
 詩の中でも、とりわけ現代詩は、「日常的な言語感覚と隔たっているため扱いにくい」「評価(主に定期試験)するのが困難だ」などの理由から、敬遠される傾向にある。一年間に一度も詩の授業をしない先生が、全体の1/3近くにものぽった。行うとしても、読解中心の授業が多い。その結果、生徒は詩の授業を面白いと感じることもなく、詩を読むことから遠ざかる。
 それは、教科書の詩教材にも問題があることがわかった。ほとんどが四〜五編で、配列も恣意的であり、内容も「主題」に偏った、叙情的なものが多いのである。
 このような現状から、現代詩の授業でつける学力とは何か、また、それを効果的に行うためにどのように授業を組み立てるか、どのような教材がどのように揃えられなければならないかという、「詩の原理」と「授業の原理」に基づいた新しい授業を構想しなければならない。

U 詩の授業の構想
 現代詩とは、村野四郎氏が「比喩の衝撃によって、比喩されるものの概念の皮が、破壊される」(『現代詩入門』潮新書)と言うように、読者に「新しい認識経験」(同書)を与える力を持つ詩である。また、吉野弘氏が『詩のたのしみ』(岩波ジュニア新書)で、「詩とは”言葉で、新しくとらえられた、対象(意識と事物)の一面である”」と言っているのも同様である。それは、足立悦男氏が『新しい詩教育の理論』(明治図書)で提案した、「見方の詩教育」と通じる。足立氏は、「詩教材の中にひそむ認識の力に焦点をあて」、「鋭い現実認識の仕方を『詩で教える』といった観点」を打ち出している。これは、詩人の詩論と通じるものである。私は、佐藤信夫氏が『レトリック感覚』(講談社)で提起したレトリックの持つ「発見的認識の造形」の力を利用して、現代詩にアプローチすることができるのではないかと考えた。詩のレトリック(=技法)を通して、現代詩の持つ、現実認識の方法を学ぶ、という視点がここから生まれてくる。
 では、その視点をどのような言語活動として授業の中に持ちこむか。私は、単元学習的な展開が望ましいと考える。単元学習の理論は様々であるが、その根本を、「表現と理解が表裏一体となって、有機的に行われるような言語活動を保障するものである」と考える。表現することがすなわち理解であり、理解することがそのまま表現につながるような授業を組み立てることが必要である。そのために、詩の創作・朗読・鑑賞文などの表現活動を中心に掘えた授業の構想が生まれた。それは、読解中心の、従来の授業からの脱却を意味する。また、詩をほとんど読まない生徒たちであるから、たっぷりと詩にひたるような時間を作り、年問を通して二百編近くの詩を読むような活動を仕組みたいと考えた。

V 詩の授業の活動計画
 各学期に一本ずつの柱を立て、年間を通して詩と触れあう。
 第一学期は、「私の好きな詩」の紹介である。毎時間、初めの五分間を使って、一人ずつ自分の好きな詩を、朗読とスピーチで紹介するという、帯単元での活動である。詩はB5用紙にプリントし、各自ファイルに閉じる。一巡した時点で四十編前後の詩が集まる。「私の好きな詩」の発表は自己表現の場であり、「学びの場」作りでもある。
 第二学期は、年間の詩の授業でも、中核になるものである。単元「発見の詩」ということで、二十五編の詩を、九時間で扱う。「コンクリートポエム」「ことばあそびの詩」「オノマトペ」「虚構の詩」と、四つの詩の技法によってセットになった教材が特徴である。いわゆる「読解」によらず、それらの詩の技法を使っての創作と、「ことぱあそびの詩」の朗読発表を、グループでの活動によってくぐり抜けながら、表現活動を通しての理解に至るような構成になっている。そして最後には、グループを解き、一人ひとりが自分の選んだ詩と向き合い、鑑賞文を書くという活動で、単元を締めくくる。ここでの教材のプリントもファイルに保存。生徒が作った詩も、クラスの詩集にまとめ、ファイルする。
 第三学期は、各自がテーマを決めて、そのテーマに沿った詩を探し、アンソロジーを編む、単元「アンソロジー作り」である。一人二〜二編集めたとしても、クラスで百編以上の詩が集まることになる。五時間程度を充てる。
 年間を通して、二十時間弱(「私の好きな詩」の紹介を、トータルで三時間半と計算した)の授業、生徒の手元に残る詩の数は生徒の創作詩も含めれば、三百編近くにものぽるであろう。

W 現代詩の授業実践のまとめ
 「私の好きな詩」の紹介は、紛れもなく「白己表現」の場となった。聴く人は、発表者の個性とともに、詩と発表を受けとめていた。自分の好きな詩を持たない生徒たちは、図書館の詩のコーナーで、何冊も詩集を読んだ上で発表をしてくれた。二学期の単元のための土台作りとしても意義のある活動であった。また続けたいという意見が非常に多かった。
 単元「発見の詩」は、時間の配分や授業の進め方の不手際もあるにはあったが、「表現を通しての理解」によって、「読解」中心の授業から抜け出すという目標はおおむね達せられたと思う。生徒たちは実に楽しんで詩の授業に取り組んだ。朗読発表会も不安を抱えながら行ったが、朗読を楽しんだし、詩の創作も頭を抱えながらも、意欲的に取り組んでくれた生徒が多かった。また、作文の嫌いな生徒たちも、様々な発見をしながら、鑑賞文を書いてくれた。中でも、詩の創作は、技法の意識が各自の思いを紡ぎ出し、言葉と言葉の鋭い出合いによって、「発見的認識」を深めたと思えるようなものもいくつもあった。
 「アンソロジー作り」の実践はこれからである。
 以上のことから、「技法を通しての、表現と理解を有機的に連関させての、詩へのアプローチ」という視点は、現代詩の授業の新しい可能性を持っていることが確認できた。今後、この授業の方法論をさらに実践を通して深めていきたい。

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